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掲載記事のご案内:「日刊工業新聞」不撓不屈 ① “宝物”生かした経営を

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「うちにはたくさんのすごい宝物がある」。
日本ベネックス社長の小林洋平はそう言って目を輝かせる。同社は精密板金加工技術を基盤とし、多分野にユーザーがいる産業機器メーカー。2016年に35歳で社長に就任した小林による自社の評価は若さ故ではない。

信頼関係が財産
日本ベネックスは17年10月に創業60周年を迎えた。小林の祖父である小林茂が「小林工作所」として長崎市で創業したのが始まり。洋平は個人で始まった金属加工業の系譜を受け継いだ3代目。「創業60年の歴史は貴重な資産」と社歴に感謝を忘れない。時間をかけて築き上げたステークホルダーとの信頼関係は大きな財産だ。
日本ベネックスは創業から順調に成長して規模を拡大した。74年に数値制御(NC)タレットパンチプレスを導入して生産能力を強化。79年の工場増設で長崎県諫早市に工場を移転する。その後も積極的に設備投資を続け、88年には第3工場が完成した。

優位性薄らぐ
90年、現社名に変更する。社名には「善」や「良」の接頭語「BENE」と未知や可能性の意味を持つ「X」を組み合わせた。「豊かな未来へ、限りない可能性を追求する常に進行形の企業です」との決意も込めている。成長を続け、洋平が「上場を見込み、そのための組織変更の準備をしていた」と明かすほど順調だったが状況は少しずつ変わる。同業他社が生産技術で追い上げ、優位性が徐々に薄らいできた。バブル崩壊以降は赤字に陥ることもあった。洋平は大学卒業後、不動産ファンドの会社に就職した。だがリーマン・ショックのあおりを受けて倒産。父の征春が社長だった11年に日本ベネックスに入社する。そしてすぐに会社の状況に相当な危機感を覚える。
「負け癖がついており、経営数字や働く姿勢もまずい。追い詰められていた」と振り返る。

組織変える決意
製造業と別の世界にいた洋平には多くの発見があった。自社の事業内容や製品を学ぶにつれ、さまざまな産業領域へ製品を作っていることに驚く。一方でそのことが十分に外部にアピールできていないことは残念だった。副社長になった洋平は「宝物を生かせばもっとすごい会社になる。生かせる会社や組織に変えていこう」と心に決めた。洋平は3人兄弟の末っ子で会社を継ぐ気は全くなかった。だが入社から5年後の16年には社長になる。順風満帆の船出ではなかったが宝物の存在を確信しており大きな不安はなかった。

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不撓不屈 ②新分野を求め太陽光進出 へ続きます 

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